石塔寺三重塔(後編)
石塔寺三重塔(後編)
百済塔との共通点を持った石塔寺三重塔、百済遺民がこの塔を建立した可能性・・・
それとも造立年代は平安時代とする見解・・・
曽和宗雄氏は、石塔寺三重塔と類似する韓国の長蝦里(チャンハリ)三重石塔が高麗初期(十世紀前半)以降の建立とされることから、石塔寺三重塔も十世紀末から十一世紀初めの建立であるとの見解を提示されてます。
野村隆氏も高麗時代の長蝦里(チャンハリ)三重石塔と近似してるとして、石塔寺三重塔の藤原時代造立説を主張。
いずれも、高麗時代に建立された韓国の長蝦里(チャンハリ)三重石塔との構造上の類似から提示された見解であります。
石塔寺三重塔と長蝦里(チャンハリ)三重石塔との類似については、すでに川勝政太郎氏が指摘しており、長蝦里(チャンハリ)三重石塔を百済時代のものと考えていたようです。
長蝦里三重石塔(忠清南道扶餘郡場岩面)
このように、石塔寺三重塔が韓国の長蝦里(チャンハリ)三重石塔に類似するものであり、その長蝦里(チャンハリ)三重石塔の年代が十世紀もしくはさらに十二世紀にくだるものとなれば、石塔寺三重塔の年代を七世紀後半とし、百済からの渡来人による造立としてきたこれまでの見解は大きく揺らぐことになるのです。
しかしながら、この問題を考えるにあたっては、石塔寺三重塔と長蝦里(チャンハリ)三重石塔を構造上から直接結び付けるのではなく、その造立の背景を考えることが必要なのではないでしょうか?すなわち、高麗時代に造立された長蝦里(チャンハリ)三重石塔は、百済時代の石塔を模して造られているということが重要で、七世紀後半に蒲生地域に移住した百済人の信仰や、韓国における石塔の造立状況を考察していかなければならないのです、ボクたち!?が・・・
おわり
by tokan-en-hardrock | 2008-06-26 20:53 | Hard Rock