割木屋


植木の古里として その名を残している 小松原、等持院の集落は

江戸時代後期の頃より 京都において 樹木生産の地として有名であり、

摂津、河内と肩を並べた

関西での庭園樹木 ならびに 苗木の特産地であったと聞いております。


殊に 高級完成樹の本場として

その名のごとく 整枝剪定の面においても

上方風と称せられる 樹性を主とした 垢抜けた 高度な植栽管理の状態は

抜群の技能が伝承されていたと ・ ・ ・


京都市西北部衣笠山を背景とし

大小造園用樹木、近郷銘石を取り合わせた 常設展示場のごとく

戦前まで約二世紀間に及ぶ 関西屈指の造園材料集散の土地として

特に有名だったそーです。


その面積は 約十町歩 十万平方メートル。


当時の営業店舗として

新兵衛、

源兵衛、

瓦師、

弥兵衛、

錦光堂、

割木屋と その名を残している。


京都銘木北山杉や

アスナロ等の 高級建材樹種として 植栽転用された 始祖の土地柄としても有名であり、

金閣寺 や 等持院、平野神社の社寺名園の緑地、

行楽人や 鉄輪の人力車、

時折 牛車も通う 土道等、

小松原、等持院は旧都に近い風雅な明治、大正時代の集落であったそーな。


割木屋 ・ ・ ・ ・ ・

何を隠そう わが北山都乾園のことである。

今は亡き祖父やから我社の歴史を聞くたび、

○○の穴が引き締まる思いである。





                         継承できるかなぁ、、、がんばろーっと

by tokan-en-hardrock | 2007-07-20 23:28 | 都乾園 | Comments(0)

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