圓徳院の檜垣の手水鉢


9月6日(水)

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秋デスネ!

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写真は、圓徳院の檜垣の手水鉢です。
圓徳院は、豊臣秀吉の妻北政所ねね終焉の地です。
秀吉の没後、ねねは高台院の号を勅賜されたのを機縁に高台寺建立を発願し、慶長10年に秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿とその前庭を山内に移築して移り住みました。
それ以来、大名、禅僧、茶人、歌人、画家、陶芸家等多くの文化人が、北政所を慕って訪れたと伝えられています。
さて、この手水鉢がどうして檜垣の手水鉢と呼ばれているかは不明ですが、元は石造宝塔の笠(屋根)の見立てで、横に立て側面を凹形に切り取り水穴を穿つた非常に遊び心がある意匠の鉢です。

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当時の資料を観ると蹲踞灯り(石燈籠)があったようですが現在はありません。
茶人や大名らの目を楽しませた圓徳院檜垣の手水鉢、ねね遺愛の物です。

by tokan-en-hardrock | 2017-09-06 11:55 | Hard Rock

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